●この雑記について(99/7/25)(2000/1/13)
現在は中断したままのウィトゲンシュタインの宗教と哲学に関する覚書きも、書いて後1年以上たって読みなおしてみると書き記しておいてよかったと思うことがあります。私自身において明らかになっていることと、そうでないことがそこには記されているからです。あれを書いたときに書かないでいたら、まだどこかでウロウロしていたはず。少しは前に進めたかもしれない。
思いついたことをそのときに記しておかないとそのときの思いはすぐにも忘却の闇の中に消失してしまう。それはインターネット上のサーフィンでも同じで、ブックーマークしないままついブラウザのウィンドウを閉じてしまったために、二度と行けなくなってしまったサイトがいくつもあります。「とりあえず」でもよいから記録しておく。という習慣は良い習慣だということに今ごろ気がついても遅い。という感じもしないではないですが、今日からでもまだ間に合うかもしれない。
ということで、この雑記の目的は忘備録。サーフィンばかりしていると、つい忘れがちになる自身の視野や視点のチューニング較正のためのピットインとしての忘備録。
ちなみに、以前書きかけだったLWに関する雑感の頁をリストラしてこの頁に加えました。全体的にLW的な雑感とます。(2000/1/13)
全体的に長くなってしまったので年毎に分けることにしました。(2000/10/8)
私が長年抱いていきた疑問について簡単に記してみよう。それは「ルールは内分され得るか?」ということ。ウィトゲンシュタインはどうも「ルール懐疑主義」的な立場に立っているように思われ、「探求」では「ルールに関する言語ゲーム」という視点でいわば包括的に括弧で「ルール」括ってしまい「ルールに関する言語ゲーム」に深入りしていない。むしろ常に外的な視点から「ルール」と言葉、またはそれを習得するということの関係が強調される。ここにウィトゲンシュタイン独特の「踏みとどまり」を見ることが出来ると思う。しかし、彼はなぜある一線から中に入ろうとしないのか? これは派生的な疑問。
例えば、刑法と刑事訴訟法との関係、あるいは一般法と憲法の関係でもいいのだけれど、具体的に「法的なルール」のような例を考えた場合、あるルールが有効になるためには別のルールが守られている。という前提が必要であるように見える。ルールが有効であるような状況では、しばしばこのような複層的・重層的に依存し合う様々なルールを見出すことができる。もちろん、このような視点だけでルールを見ると、半ばある種の「実体」がルールに備わっているかのごとくの(組合わさって動く歯車のような)イメージが思考者の念頭に浮かぶかもしれない。「歯車」のような堅固な「ルール」という(実体的な)イメージの考察は哲学の範疇であろう。しかし哲学的な解明がどうであれ、仮にそれが誤謬であったとしても、我々の「ルール」に対する理解は「歯車のような堅固な実体」という考えと切り離せない。ルールには名指せるような「物」的な実体は存在しないという見方は可能である。つまりルールを「ルールを尊守する行為者の意志や決断」にすり付けるという見方である。しかし半面では、『十戒が書かれた石板を抱くモーゼ』というイメージに含まれる「実体化したルール」という見方もなされてきた。半蔵門にある最高裁判所の建物が誇示するイメージは極端であるとしても、「記録されたルール」というイメージはルールの理解を促すものである。つまり、他人(または子供達)にルールを守るようにと言ったり教えたりする場合、ルールブックを具体的に指し示すことは見逃すことができないほど重要だということである。
ルールを物象化し何か実体を備える「物」として取り扱う前提があってはじめて、ルール相互の組み合わせを議論することができる。少なくとも誰かにルールの説明を行う場合、ルールの物象化は分かり易さの前提になる。我々の言語は名指し得る「物」と深く密接に結びついており、「実体」を特定することが困難な事態に対して「物」性を付与することでその理解が促されるものである。権力が充満している環境では、権力の命令は時として「ルール」として投げ込まれる。命令は二者の力関係で成立するが、1対多数という社会という規模へ命令を発する場合、既定の「ルール」とした方が秩序維持のコストが安くなるからである。社会の構成員の多くが「守るべきはルールである」とルール受容の心的メカニズムを持つ羊達ばかりであればなおさらのことであろう。
ウィトゲンシュタインはこのようなルールの物象化に最後まで抵抗していた。従って「組合わさって動く歯車」といった「実体性」を伴うイメージを帯びたルールという見方にとことん抵抗するのである。だから彼の観点からでは、例えば「刑法」と「刑事訴訟法」のような組み合わせを特徴づけて説明することができない。というより、そもそもウィトゲンシュタインは眼前の世界を実証的あるいは観察的に解明するという志向を欠いていた。この傾向にはある種の確信が拠り所があったに違いない。と考えた場合、では、ウィトゲンシュタインが実証的・観察報告的な志向を持ち得なかった理由は何であったのだろうか?
ウィトゲンシュタインがルールに実体性付与することを拒否する理由は、「実体性」というようなイメージを伴う概念に飼い慣らされることを拒否することに哲学者としての矜持をもっていたこと。この点は「反哲学」的立場と特徴づけてよいだろう。この意味では、ギリシア流の哲学すなわち西洋哲学の本流には居ない。もう一つ理由があるとすれば、独我論的な確信であろうと思われる。つまり、わたしを束縛するルールなどは私が私である限り実体などはひとかけらも持ち得ない。という素朴な確信である。私は世界の王であり、私は私の世界に君臨するのであり、私はだれにも影響されないし誰にも支配されない。どのようなルールにも拘束されない。という感覚である。しかし、この確信を言葉を用いて表明しようとしたとたん、その独我的絶対性はことばによって打ち砕かれる危機に瀕していることもしっかり自覚していた。
ある種の現象、または1ユニットとして他と区別され得るような言語ゲームの中で取り扱われ得るルールに実体性を付与しないこと。この一線の内側で踏みとどまることで、彼は実証的な学問の外側に身を置くことを堅持できたのではないか。ある種の確信の実践としてウィトゲンシュタインはそれを徹底した。そのように考えるのである。そのような確信を正当化し得る源泉はなにであったのか。この問いはこの問題とは別問題だといえる。
先日、近くの図書館から「ルサンチマンの哲学」という本を借りて読んだついでに少し書いてみようかと思う。
永井均がウィトゲンシュタインに対してある種、過度とも言えるシンパシーを示すのは、ひとえにウィトゲンシュタインが提起し論じた独我論の故でありウィトゲンシュタインの議論が哲学的かつ論理的に異論の少ないものであるということによるようである。しかし、私には永井とウィトゲンシュタインとの接点はこの独我論の一点だけであるように思われる。永井の立場とは、私が理解する限りでは、むしろニーチェ的な道徳批判こそが彼の本領であり、存在論または実在論を核とし、その上で倫理学を論じ「よりよき生」を「運命」として受け入れる方策を見出すことを哲学的なスタンスとしているかのようである。
永井が「解説」する独我論を除けば、ウィトゲンシュタインと永井の立場には類似するところがない。というのも、私見では、ウィトゲンシュタインが存在論や実在論のような古典的な文体で哲学的問題解決を目指したのは「論考」を巡る時代だけのことで(実の所こう言う事にも躊躇がある)、後年、ウィトゲンシュタインはそのような哲学的スタンスつまり古典的哲学議論という文体による展開を自身の旧論をも含めて哲学批判の対象としていた。しかし、これに対して永井は「独我論」により<私>という主体を彼流の(しかしウィトゲンシュタイン流ではない)語り得ぬ領域としての形而上的彼岸へ押し込めるという一連の議論を通し、旧来の「存在論」へと接続させようと試みる。しかしこの進め方は古典的議論の枠を出るものではない。永井は<私>の扱いを、ハイデガーがニーチェを論ずる際に問題とした西洋哲学の古典的問題としての「存在論」そのものとして展開する。しかし、ウィトゲンシュタインはまさにその文体を批判の対象としていたのではなかったのか。「言語ゲーム」という概念は「語り得ぬ領域」を確保するための方便に似た何かである。それをウィトゲンシュタインの思想から切り取って、「存在論」と接続することは、飄窃にも似た何かであろう。蝿取り壺に閉じこめられた蝿に蝿取り壺こそが世界の全てとして存在する。と説教するようなものである。
永井とウィトゲンシュタインとの思想的な差異を決定づける点があるとすれば、永井の思想にはすくなくともユダヤ・キリスト教 のいう神がいないことである。あえて言えば、永井は仏教的な「無」の思想を意識的にせよ無意識的にせよ議論の前提にしている。したがって、永井の示す<私>は偶然的な色相世界の中の生にあっても、メタフィジカルな彼岸へと押し込まれる何かである。永井はウィトゲンシュタインを自らの思想の同信者であるかごとき扱いをもって遇し頻繁に引用を行う。しかし、その多くは自らの議論の補強のためのレトリック以上の意味を持っていない。同様な視点で永井のニーチェ理解もある種の異質さを伴う。彼のニーチェ感覚はニーチェ自身の体温とは異なるかのように思われる。永井がニーチェを好むのは道徳を問題にする際に、宗教的=超・人格的倫理観を排除する特効薬としてニーチェの議論が有効に見えるからである。永井は道徳に関する議論を進める際に、ニーチェを楯にしてキリスト教的倫理観(または超・人格的倫理観)を可能な限り排除しようと試みる。それによって道徳的な「生」の決断主体を<私>に全権移譲させることができるかのような印象を与えるために。
永井の独我論を巡る議論は、現代的日本人の無宗教的(しかし生活の基本には日本的仏教があったりする)常識感覚をよく説明するかのような印象を与える。しかし、その説明は浅薄であることを免れ得ないと思う。第一に道徳観と哲学的世界観との境界の線引きに無頓着であること。認識主体が道徳的決断の主体と同一であるからといって、道徳的価値観と世界観とを混然と語ることで哲学になるのかどうか。第二に、道徳だけが価値観の担い手だという印象を与えるような議論であること。法や単なる習慣、慣習、常識などと道徳とはどの様に区別されるのか。これら道徳から見れば類似している何かとの境界についての言及がほとんどない。我々の価値判断、行動の選択が全て「道徳」に準拠して行われるというわけでもない。と言う点をうまく説明できていない。第三に宗教に対する思索が欠落しているか常識の域を出ていない。ある種の道徳律が人々によって守られている場合、それが宗教的確信によるものである場合をうまく説明できない。あるいは、「イエスは仏教者である。」というような一種の我田引水甚だしい表現が多々見られること。また「左の頬と右の頬」のたとえに対する解釈(奴隷的な価値観による世界観の転倒云々)に代表されるような私感的解釈のごり押し。このような配慮を欠いた議論がせっかくの「独我論」の議論を安っぽい「私小説的世界論」に貶め足を引張ることになっている。等など。
埴谷雄高の小説などを読むと、何か似たような印象...ドストエフスキーの影響を受けつつもドストエフスキーの基盤であるキリスト教理解を形而上学の名の下に隠蔽することで昇華させてしまったかの印象を受ける。ただ、それでもまだ思索や品位というものがそこには感じられる。かたや永井の著述では、例えばキリスト教に関しては「無視・無関心」を装いつつ皮相な皮肉で論を全てするだけでしかない。また永井は宗教一般を現実の倫理観、価値観に対して実効的かどうかという観点で評価を行う立場に身を置く。そしてニーチェのキリスト教評価に準じて、キリスト教を「ルサンチマンによる貴族的価値観の転倒の試み」として悪しきなにかとして排除する。従って、永井においてはドストエフスキーもルサンチマン・パターンにはまったつまらない小説家に貶められる。永井の私的なニーチェ理解、すなわち転倒されてはならない価値観とは運命愛が根幹であり、一回生の繰り返し(永劫回帰)をも受け入れる精神=力を尊ぶ何かである。この運命愛は独我論的世界観と密接につながっている。こうした私的な感覚では、宗教は不用であろう。従って、宗教は阿片であるというマルクスの言葉が真顔で引用されても不思議はない。また、新宗教であれば擁護し得るという立場から現実世界での価値観生成に寄与しない旧宗教は無用であるとさえも指摘する。永井の倫理学とはこのように現実世界での善悪を定義するような実学の域を出ない。この倫理学観は、うまくいっても現代的日本人の無宗教的常識を補完する論理にしかならないだろう。この意味で、永井は自覚的かどうか定かでないが「日本人の常識」から自由ではない。そういう哲学もまた可能であろうと言うことに過ぎない。でもこれでは、キルケゴールやドストエフスキーが展開したような論理、すなわち社会制度としての宗教と「信の思想」としての宗教とを峻別して「信」による自己の回復という図からも無縁である。少なくとも永井が僅かに垣間みせる彼の宗教観にはこのような考えが欠落しているしそれを読み取るのは困難である。
哲学者、永井均に我々が望むことは私小説としての哲学ではなく、より精緻広範な視点による哲学である。しかし、残念なことに決して少なくない著述を読み通して感じたことは議論が私小説の域を出ていないと思える。こと宗教に限って言えば批判的な言説はあまた多いにもかかわらず、無宗教な立場ならそのように明言すればよい。けれども、あえて既存宗教を批判するならより仔細にわたり研究を行った後に批判すべきであろう。キリスト教を「ルサンチマンによる貴族的価値観の転倒の試み」とだけで一蹴するのは勝手だが、安物の街宣アジテータではなく学者なのだから、それ相応の理解への読み込みをまず行うべきだろう。ウィトゲンシュタインが「繰り返し読んだ」と告白している「カラマーゾフ」さえ読んだ痕跡はみられない。例えば大審問官のエピソードは、ある意味でニーチェ以上にニーチェ的であるにも関わらず。である。この宗教理解の観点からすれば、ニーチェに関する十八番の議論にさえクエスチョンは多い。読者としてはイライラがつのるばかりである。それが彼の狙いだとしても、このイライラのレベル低過ぎ。というのが問題。